文字の発明は、それまで聴覚的に体験されていた連続的な言語の世界を離散化していく方法の発明に外ならなかった。実際、連続的な音の繋がりとして聞こえる発話を文字で表すためには、まずその発話を記述可能な構成要素にまで分解する必要がある。その構成要素が音素であろうと、音節であろうと、あるいは単語であろうと「発話の離散化」という過程を経由せずしては、文字システムを作り出すことはできない

文字の発明というこの作業がいかに困難なものであったかは、歴史的に見て、独自に発明された文字システムが数えるほどしかない、という事実に端的に表れている。歴史上、独自に発明された文字システムとして認められているのは、メソポタミア地方のシュメール人が紀元前3500年頃に作り出した楔形文字や、紀元前600年頃にメキシコ先住民が作り出したものであり、それに加えて紀元前3000年頃にエジプト人が作り出したものや、紀元前1300年頃に中国人が作り出したものもおそらく独自の文字システムであろうと推測されている。一方で、これらの地域以外の人びとは、基本的に、他の地域ですでに使用されていた文字システムを加工したり、借用したりして自分たちの文字システムを持つに至ったと考えられている。

ほとんどの地域で、既存のシステムを借用するというかたちで文字が導入されていったのは、独自の文字システムをゼロから構成することが、他の文字システムを拝借するのに比べて遥かに難しかったからであろうが、その困難の本質は、先程も述べたとおり、本来連続的であった言語体験を離散化する、という作業の難しさに拠っている。 逆にいえば、紀元前3500年頃に、はじめて人類が独自の文字システムを発明することに成功したとき、世界は着実に離散化の道を歩み始めたということになる。

ところで、文字システムとひとくちに言っても、なにを記述の構成要素として選択するかによって、大きく三つの方法を考えることができる。ひとつは、一つ一つの文字で一つの音を表す方法(phonogram, 表音文字)である。二つ目は、一つの文字で一つの単語あるいは意味のかたまりを指示する方法(ideograph, 表意文字)であり、三つ目は、一つの文字で一つの音節を表す方法(syllabary, 音節文字)である。

この三つの方法のうち、今日もっとも多く使われているのは、文字に音素を対応させるアルファベットであるが、アルファベット表記法が世界各地に広がる前は、むしろエジプトの象形文字やマヤの絵文字などの表意文字の方が広く用いられていた。

人類最古の文字と言われているシュメール人の楔形文字もまた、発明された当初は表意文字であったが、その後少しずつ表音的な記法を獲得していく。表意文字から表音文字への移行は、人の思考の歴史を考察する上で重要な転換である。なぜなら、言語的体験の離散化のプロセスは、文字システムが表意的表記から表音的表記へと移行していくとともにいよいよ本格化していくことになるからだ。