半導体業界やコンピュータ業界の技術革新のスピードはめざましく、数十年前には考えられなかったような大きさとコストのコンピュータがいまでは大量に生産されるようになっている。
それに伴って、コンピュータはますます「知的」になってきたと言われる。

1997年、チェス専用のスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」が当時の世界チャンピオンであったガルリ・カスパロフ氏を6戦中2勝1敗3引き分けで破るという歴史的な出来事が起こった。チェスで人を倒すほど知的になったコンピュータが、このままさらに賢くなり、やがては将棋でも人を倒し、最終的には「心」とも呼びうるような知性を獲得するようになる日が来るのもそう遠くないのではないか、と妄想した人も少なくなかったに違いない。


IBMが開発したチェス専用スーパコンピューターDeep Blue.

しかし冷静になってみると、ディープ・ブルーの知性と人の知性とには大きな隔たりがある。実際、ディープ・ブルーはたしかにチェスに関しては超一流であるが、例えば対局中に大地震がやってきたとしても彼はチェスを打ち続けるであろう。人であれば危機を察して机の下に潜り込むなり何らかの対応をするであろうが、ディープ・ブルーはまず間違いなく、自分自身が地震の衝撃で壊れてしまうその瞬間までチェスを打ち続けるだろう。ある面では「信念の人」という感じで逞しい感じがしないでもないが、しかし地震が来ようが火事が来ようが、チェスを打つことしかできない知性を真の意味で「知的」と呼ぶことには無理がある

この例が端的に示しているように、人の知性の本質には「あらかじめプログラムされていない未知の事態にも対応できる」ことがあるのであって、そうした「開かれた」知性を実現するには、環境の中で動きまわることができる「身体」の役割が本質的である、ということが少しずつ分かってきた。

そして近年では、身体を持ったロボットを使って知性をつくろうとする研究(身体性ロボティクス)が盛んに行われるようになってきた。そうした研究が明らかにしてきたのは、人が脳だけでなく、身体や環境を使って思考をしている生き物だということである。