「97と98ではどちらの方が大きいか?」と聞かれたら、ほとんどの人が苦もなく瞬時に答えることができるだろう。しかし、これはよく考えてみるとそれほど当たり前なことではない。というのも、ほとんどの人は普通97の97らしさや98の98らしさといったものを(例えば赤の赤らしさを想起するようなかたちで)明瞭にイメージすることはできないからだ。
実際、近年の認知科学の研究により、ヒトは1,2,3についてはそれぞれ1の1らしさ、2の2らしさ、3の3らしさを瞬時に捉えることができる1が、4以上になると、数そのもののクオリアはなくなり、実際に数えてみるしかなくなる、ということが分かってきている。
すなわち、3以下の数については「赤の赤らしさ」と同じように「3の3らしさ」の質感を感じることができるのだが、4以上になるとそのような独自の質感を感じることは、脳に本来備わっている機能の中ではできなくなってしまうというわけだ。
このことは、実は様々な文明における記数法にも表れている。世界中の文明の記数法について徹底的に研究をしたGeorges Ifrah2によれば、世界中のあらゆる文明において例外なく、3までの数は同じ規則で記されているという。例えば、古代中国で生まれた漢字では「一、二、三」と書くし、ギリシアでは「Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」、マヤでは「・、・・、・・・」と書く。
とにかく、尽くあらゆる文明における記数法を調べたIfrahは、すべての文明において、3までの数字は、1を表す記号を並べるという方法で記されているということを発見した。アラビア数字とて例外ではなく、「1、2、3」というのも実はインド数字の「一、二、三」の草書体であると考えられている。
一方、ほとんどすべての文明(例外もある)において、4から記数法のルールが変わる。例えば、漢字では「四」となり横棒4本ではなくなるし、ギリシア数字の場合も「Ⅳ」となり、縦棒4本とはならない。
これは、人が4以上の数のクオリアをもたないことと関係しているだろうと考えられている。縦棒や横棒が4本以上になると、その数を認識するために「数える」必要が出てきてしまうため、紛らわしくないよう、1を表す記号とは独立の新しい記号を割り当てるという方法で、4以上の数を表す記数法が改良されてきた結果だろうと考えられる。