独自の視点から人体の発生学を追究した三木成夫氏は、ヒトの中に共存している「動物的」と「植物的」の二つの方向を強調した1
ヒトの発生を、原腸胚形成まで遡ってみたときに、原腸胚は腸腔を抱え込むかたちで、やがて筋肉や神経系に発達していく「外胚葉」と、消化器系に発達していく「内胚葉」に分化していくが、三木氏は、この外胚葉と内胚葉の分化のうちに、ヒトの中の動物的(=外胚葉)と植物的(=内胚葉)の共存を見た。

こうしてみると、先の「おのずから」と「みずから」の葛藤は、人の中の動物的(=みずから)と植物的(=おのずから)の葛藤として、すでに人体の発生の最初期から、身体の形態の中に刻み込まれているということになる。

さらに、人の中の動物的側面を象徴するのが、外胚葉から分化して大きく発達を遂げる人の神経系(=脳)であり、一方で人の植物的側面を象徴するのが、内胚葉から分化した内臓系の中心に位置する心臓であると考えると、「おのずから」と「みずから」の葛藤は、「神経系(=脳)」と「内臓系(=心臓)」の葛藤として象徴的に身体そのものに刻印されていると見ることもできるが、実はその様子は図らずも「思」という一字の中に集約されている。

というのも「思」という字は、その上半分が脳を上から眺めたところを、その下半分が心臓のかたちを表していて、脳に偏るでもなく、内臓に偏るでもなく、「あたま」と「こころ」が互いに寄り添って存在している様を表していると言われているのだ。己のうちに「みずから(=動物的)」と「おのずから(=植物的)」とを抱えながら、そのどちらに寄るでもなく、両者が互いに寄り添って存在していることを指して「思う」というのである。