表音的表記は、エジプトの象形文字に紀元をもつアルファベットにおいて、ひとつの完成を見ることになる。

現在、世界には、エチオピアのアルファベットやアラビア語、ヘブライ語、インド語のアルファベット、そして東南アジア諸言語のアルファベットなど、幾種類ものアルファベットが存在するが、アルファベットの発明は、おおもとの発明が一度あっただけで、残りはすべて模倣の連鎖の産物であると考えられている。もちろん私たちが慣れ親しんでいる「ローマン・アルファベット」もその例外ではない。

もともとアルファベットの起源はエジプトの象形文字にまで遡ることができる。実際、エジプトの象形文字では、24個ある子音を表すために、24個の記号が使われていた。ところが、エジプト人は単子音を表すアルファベットだけを使うという方向には進まず、二重子音や三重子音を表す記号や、表意的な記号、決定詞といったものを使用し続ける道を選んだため、アルファベットを直接生み出すには至らなかった。

はじめてアルファベットを発明したのはしたがって、エジプト人ではなく、エジプトの象形文字に通じていた紀元前1700年ころのセム語族の人びとであった。

セム語族の人びとが考案したアルファベットは、エジプトの文字システムから派生したものであったから、母音を表す記号がいまだ導入されていなかった。初期のセム語においても、子音に点や線を付加することで母音を表現することが試みられたが、紀元前8世紀にギリシア人によって母音を表す記号(α、ε、η、ι、ο)が導入されたことで、アルファベットははじめて現代的な表記にきわめて近いかたちを獲得することになる

こうしてフェニキア人を介してギリシアにアルファベットが伝わり、ギリシア人の手によってそこに母音を表す記号が導入されたことで、紀元前8世紀のギリシア人はいわゆる「ギリシア文字」を手にすることになった。実は、ギリシアではミケーネ文明が栄えていた当時、線文字Bと呼ばれる文字システムが使われていた。ところが、ミケーネ文明が紀元前1200年頃に崩壊するとともに、この文字システムも失われてしまっていたから、ギリシア文字は、ギリシア人にとっては数百年ぶりの文字システムであった。