さて、このように、低次のホメオスタシスを基礎として形成されるより高次のホメオスタシスとしての情動は、私たちの意思決定を支える重要な役割を担っている。
意思決定などの高度な認知は、主に脳によって達成されると思われがちだが、ダマシオは高度な認知における身体の役割を強調する。
例えば、渋谷を散歩中に、その日のランチをどうするか悩んでいたとしよう。これは高度な意思決定の問題であり、お店の味や場所、価格などあらゆる要素を総合的に考慮した上で、適当な選択をしなければならないという非常に難易度の高いタスクである。例えば、コンピュータが計算するように、論理的にこの問題を解決しようと考えたら、大変なことになるだろう。おそらく一日経ってもどの店に行くべきかの結論が定まらないに違いない。
その代わり私たちはどのようにして意思決定をしているのかと言えば、例えばカツ丼を想像してみたら、なんとなく胃がむかむかして気持ち悪いから、もう少し軽いものが食べたいな、などと考えたりする。そして、定食屋の看板の雰囲気に食欲をそそられたり、お店から漂う料理の匂いに吸い寄せられていったりする。 こうして、私たちは脳にそれほど多くの仕事をさせなくても、身体の反応(=情動)を通して、その日ランチをどうするか、という意思決定問題を少しずつ解いていく。
思考というのが純粋に神経系のみに依存したプロセスではなく、多分に身体の反応(=情動)の助けを借りた過程であるということを、こうした考察は示唆している。
私たちのように、高度に発達した大脳を持っているヒトの場合には、思考のプロセスにおいて神経系が果たす役割は甚大だが、そのような脳による思考の背景には、より原始的な思考として「情動」が常に身体を舞台として働いているのである。