多分に仮説的な主張が多く、鵜呑みにすることはできないが、ジュリアン・ジェーンズの『神々の沈黙』という刺激的な本がある。
彼はこの本の中で、かつてヒトはみな「神々の声」を聞いていた、と主張する。 現代でも統合失調症の方がしばしば体験するような幻聴に近いかたちで、かつてヒトは神の声を直接聴いていた、というのだ。
ジュリアン・ジェーンズによれば、この頃の人間には自己意識というものはなく、ただ神々の声に導かれるがまま行為をしていたというのである。古代のピラミッドをはじめとする巨大な遺跡たちも、意識を持った筋肉質の男たちが、辛い思いをしながら苦労をして立ち上げたのではなく、意識を持たない、幻聴にしたがう、文字通り疲れを知らない人々によって、淡々と作り上げられていったのだとすれば、それはすごい話しである。
しかし、あるとき突然神々は沈黙する。それまで聴こえていた神々の声が聴こえなくなるのだ。ジュリアン・ジェーンズはホメロスの著作などを丹念に調べながら、神々が沈黙したのはおよそ3000年くらい前の出来事であろう、と結論している。
この仮説の是非はともかくとして、人類史上のある瞬間に、ヒトは自己意識を獲得して、思考について思考できるようになった。 これが一体いつ頃の出来事であったのか推し量ることは私にはできない。しかし、世界史を振り返ってみると、紀元前6世紀という時代がいかにも特異な時代であるということにはまず異論を挟む余地がない。
実際、ピタゴラス(紀元前582-紀元前496)、ブッダ(紀元前563-紀元前483)、孔子(紀元前551-紀元前479)はみな揃って紀元前6世紀の人である。これに加えて、老子やゾロアスターも、諸説あるものの紀元前6世紀の人物であるとする説が有力である。 世界史を代表する東洋と西洋の思想家たちが、一斉に揃って紀元前6世紀に登場したのは単なる偶然であろうか。それともその背景にはなんらかの必然が働いていたのであろうか。
歴史上のある段階で人は自己意識を獲得し、「からだ」が直接知覚する世界と「あたま」が物語る世界とのあいだの距離が生じるようになった。そうして徐々に進行をはじめた「あたま」と「からだ」の分離状態が、ある臨界点を超えてしまったのが、この紀元前6世紀という時代なのではないかという気がしてきているのである。
以下ではこのことをもう少し詳しく論じてみたい。