古代ギリシアの数学に関する資料は、残念ながらそのほとんどが中世に失われてしまったと言われている。特に、ピタゴラス(紀元前582-紀元前496)と、ピタゴラスに続いたピタゴラス派の哲人たちについては多くの記録は残されておらず、いまだに謎が多い。

ピタゴラスはエーゲ海のサモス島で生まれ、タレスのもとで学んだ後、エジプトやバビロニアへ留学して現地の数学や宗教を学び、その後は現在の南イタリアに位置するクロトンに落ち着いたと言われいている。現在でこそ「ピタゴラスの定理」にその名が冠せられている通り、数学者として広く認知されているピタゴラスだが、当時の人々にとってはピタゴラスは数学者である以前に神秘主義者であり、預言者であった。

クロトンでピタゴラスは、後に「ピタゴラス教団」と呼ばれるようになる秘密結社を立ち上げ、その精神的な指導者となる。ピタゴラスの意思はその後もピタゴラス派と呼ばれる人々の手によって受け継がれ、紀元後6世紀頃までその教えは継承され続けた。

ピタゴラス教団では厳しい戒律(基本的には菜食主義で、豆を食べることも禁止されたと言われている。指輪をはめてはならない、雷の際には地面に触れていなければならない、などという奇妙な掟もあった。)を守ることを要求され、メンバーも慎重に選別された。メンバーはみな教団の掟にしたがって儀式に参加し、秘密保持の誓約を交わさなければならなかった。

彼らはまた、魂の輪廻を信じ、死後も魂は動物に乗り移り、その後も魂は動物界と人間界のあいだを永遠に往復し続けると信じられていて、その輪廻のサイクルを断ち切る唯一の方法が、身心を浄化していくことであると考えられていた。当時の他の宗教と同様に、身体の浄化は基本的に日々の節制によって実現されると考えられていたが、精神の浄化が数学によって達成されると発想した点にピタゴラス教団の独創があったといえるだろう。


そもそもmathematicsということばをはじめて使用したのがピタゴラスだと言われている。mathematicsということばはもともとギリシア語のta mathemata(学ばれるべきもの)に由来するが、ハイデガーによれば、このta mathemataという語には「すでに知っていることを学ぶ」という意味が込められているという。すなわち「すでに知っていることを学ぼうとする行為」が本当の意味でのmathematicsというわけである。

ピタゴラス教団が志向したのは、この広い意味でのmathematicsであった。実際、ピタゴラスは数学(=mathematics)を「連続を扱う数学」と「離散を扱う数学」に大別したうえで、前者を絶対(=数論)と相対(=音楽)に、後者を動(=天文学)と静(=幾何学)に分類したが、このことからも分かる通り、ピタゴラスが考えた「数学」は、現代の私たちが抱く矮小な数学のイメージに比べると遥かに射程の広い概念であったであろうと考えられる。

このピタゴラス教団がその中心理念として掲げたのが「万物は数である」という信念であった。私の思うにピタゴラスは、この「万物は数である」ということばで以て、タレスが発症した「あたま」と「からだ」の分裂病の発症に対する宣戦布告をしたのではないだろうか。それは同時に、連続と離散とを統合することで、mathematicsそのものを総合しようという野望でもあったはずだ。

以下ではそのことをもう少し詳しく見てみたい。